梶原千沙都紹介

梶原千沙都(日本ヘルマンハープ振興会 会長)
Grüß ~ごあいさつ~

2003年に、私は日本人として初めてヘルマンハープに出会いました。当時、私は夫の仕事の都合でウィーンに住んでいました。そして、ヘルマンハープに出会って半年後の2003年11月末のクリスマスの頃に、ドイツのニュールンベルクの教会で、ヘルマンハープのコンサートを初めて聴きました。ヘルマンハープのアンサンブルのメンバーを見ると、健常者も障がい者も、若者も高齢者も、男性も女性も、全員がヘルマンハープをともに演奏しておられました。だれもがヘルマンハープを奏でている自分が素敵だという確信に満ち、その顔は明るく輝いて見えました。

それまで私は、「バリアフリーで音楽を奏でる」というと、ハンディーのある人が鈴やカスタネットのような打楽器を担当するという演奏スタイルしか知りませんでしたので、皆がいっしょに、メロディーを奏でることのできる同じ楽器を弾いていることにたいへん驚きました。そして、教会に響き渡る透明な音色の美しさ。私は、このような人の垣根を取り払ってしまうような素晴らしい楽器を、ダウン症の息子のために開発した、ヘルマン・フェー氏の親の心。その親の心の偉大さに声を失うほど感動しました。

ドイツの教会で初めて聴いたヘルマンハープのコンサート

当時、フェー家のご一族は、このハンドメイドのヘルマンハープを「世界的に有名にするつもりはない」というお考えでした。しかし、ダウン症の息子のために、父親のヘルマン・フェー氏が開発した楽器は、姿かたちも音色も、あたかもルネサンスの時代から存在したかのように美しく、そのような楽器がドイツで生み出されたことを、ぜひとも日本のみなさんに知っていただきたいと思いました。この真実のお話にどれほど多くの人が励まされ、また、人生が豊かに変わる人が多くおられるに違いないと確信しました。
同時に、このフェー家の真実の物語を人類に語り伝え、ヘルマン・フェー氏と息子のアンドレアスさんの名前をこの世に残したいと思いました。

そして、ヘルマンハープ開発者一族から、日本での普及を一任されることになり、これまでにないヘルマンハープでの音楽事業を2004年から日本でスタートさせることになりました。

私は、ヘルマンハープ教室におけるメソッドの必要性から、ヘルマンハープの奏法を自ら開発しました。2012年には、世界で初めてのヘルマンハープの奏法指導書「ヘルマンハープの奏法〈基礎編〉」(梶原千沙都著)が音楽之友社から出版されました。私が、誰にでもあてはまるヘルマンハープの奏法上の規則性を発見できたのは、ヘルマンハープの発祥の物語をいつも心に持ち続け、そこに大きく起因するヘルマンハープの楽器の特徴を見つけることができたからです。
ヘルマンハープを愛好する皆さまの"人間愛を伝える演奏"が、統合社会をめざす日本に、大きく響き渡ることを願ってやみません。

プロフィール

日本ヘルマンハープ振興会、会長。2003年に当時在住中のヨーロッパで、ヘルマンハープと出会う。ヘルマンハープ開発者のヘルマン・フェー氏の一族と親交を深め、日本での普及事業を一任される。

2012年に世界初のヘルマンハープの体系的な奏法指導書『ヘルマンハープの奏法〈基礎編〉』を音楽之友社から出版。
梶原千沙都の美しい弾き方と音楽表現は観客を魅了し、ドイツ本国の指導者たちからも「現在、世界最高のヘルマンハープ・ソロ奏者」の呼び声が高く、講師、奏者として本国ドイツにも招聘されている。
全国でヘルマンハープのインストラクターを養成、指導する一方、講習会活動では、弾く人の音を瞬時に変えてしまう奏法指導が、「千沙都マジック」と呼ばれている。
ヘルマンハープの楽器の発祥の意味の大切さを伝える活動と、一方で本物の楽器としての芸術性を開花させた功績が注目されている。

2008年に日本初のヘルマンハープのCD『会えるそのときまで』、2013年に CD『バリアフリーの花~ヘルマンハープ・サウンド~』、2014年シングルCD『会えるそのときまで』を発売。
CD『バリアフリーの花~ヘルマンハープ・サウンド~』は、ヘルマンハープのポテンシャルを初めて本格的に発揮させたCDと評されている。さらにステージでは弾き歌いで、ヘルマンハープと響き合う透明感のある歌声を披露している。

2010年には、ヘルマンハープを導くその歌声に対して対し、楽器の開発者ヘルマン・フェー氏から"ヘルマンハープ歌手"の称号を授与される。

※ヘルマン・フェー氏から授与された、"ヘルマンハープ歌手"とは、「障がい者の音楽活動を可能にし、自らの音楽能力を顕示せず、 暖かく見守りながら信頼感をもって寄り添う歌手」と言う定義。

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