- 千沙都理事長プロフィール -
![]() 2010年ドイツのコンサートで ソロ演奏を披露しました ![]() 研修当時、ウィーンにて。 左ワーグナー氏、ヘルマン・フェー社長、梶原千沙都 ![]() 愛好家向け奏法講習も 全国で行っています ![]()
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日本ヘルマンハープ協会理事長 梶原千沙都
1960年生まれ。奈良女子大学卒業。結婚後通算10年間をドイツ・スイス・オーストリアで過ごす。2003年に理事長梶原千沙都が当時在住中のヨーロッパで、ヘルマンハープに出会う。初めてヘルマンハープの演奏をドイツの教会で聞いたことがご縁で、ヘルマンハープ開発者のヘルマン・フェー氏の一族と親交を深めることになる。当初ヘルマン・フェー氏一族はヘルマンハープを世界的に普及するつもりはなかったが、世界的な国際貿易のコンサルタント、ハット・ブレンナー氏の立会いの下、梶原千沙都の楽器の発祥の経緯を世界に広める事業計画の在り方が評価され、日本での普及を一任されることになる。 2004年に梶原千沙都はヘルマンハープを個人事業でスタートすることになるが、ユーザのための教室展開を重視する観点から、2005年に日本ヘルマンハープ協会を任意団体として設立する。2007年には、協会の母体となる事業全体(ヘルマン・フェー・ハープ・ジャパン有限会社)を夫の梶原彰が引き継ぐことによって、梶原千沙都は音楽事業に専念し、教室展開、インストラクター育成、演奏会、講習会などのセミナー、日独交流事業を企画し、本部スタッフとともにバリアフリーな音楽事業の在り方を探求することが可能となった。 ウィーンの施設で、半年間にわたるヘルマンハープの知的障がい者への教授法の音楽研修を修了。その間、ウィーンの音楽教育者トラウデ・ワーグナー氏に師事し、ドイツのヘルマンハープ曲集の研究、ドイツコレクションⅠ、インストラクター用教材の編纂に着手する。2005年の日本ヘルマンハープ協会を設立後は、ドイツのリズム言葉を用いたヘルマンハープ独自の教授法を提唱し、障がい者と健常者、年齢差、性別、音楽経験の有無を超えたバリアフリーの教授法とヘルマンハープ独自の演奏法を開発し、全国のヘルマンハープ教室で普及をしている。 ヘルマンハープの普及と広報活動においては、今日までに300回以上のコンサートや講演活動を行う。とりわけ障がい者とともに作るヘルマンハープ演奏のステージには多くの人から感動の声が寄せられている。ヘルマンハープを日本に伝えたこれまでの経緯や活動は、テレビ゙・ラジオ・新聞などで多数紹介され、また高橋知伽江脚本による音楽朗読劇「弦の音に導かれて」も製作された。2007年10月からNHK大阪放送局のスタジオで開催された体験レッスンでは延べ200名の受講生にバリアフリーの教授法でヘルマンハープの真髄を伝授し、好評を得る。 文化交流においては、日本の唱歌の血脈となったドイツ唱歌の日本での普及を目指す。2007年、2008年はドイツのシーボルト記念博物館等でヘルマン・フェー氏らとともにコンサートを行い、日独唱歌の交流を通じた日独友好の文化交流を進めている。2009年6月には、ドイツ南バイエルンで開かれたヘルマンハープコンサートに20人の日本演奏団を束ね初出演を果たした。2009年10月には、ヘルマンハープ開発者ヘルマン・フェー氏率いるダウン症者のアンサンブルグループをドイツから招聘。横浜、西宮公演には2300名が来場し大きな感動を呼んだ。2010年8月には、ドイツで指導者向けの奏法セミナーを行い、ヘルマンハープ独自のメソッドとして大きな評価を得た。2011年11月にはドイツ大使主催レセプションで、障がい者とともにヘルマンハープ演奏のステージを披露。ドイツからもたらされた新たな時代の音楽文化に多くの賛同の声が各界から寄せられている。 2008年11月には障がい者の芸術文化活動支援の業績により産經新聞厚生文化事業団から表彰をうける。現在、産經新聞厚生文化事業団 評議員。 2008年8月、”ヘルマンハープ歌手”の称号を授与される。「音楽的弱者の文化的な参加、活動を可能にし、 そのために自らの音楽能力を顕示せず、 暖かく見守りながら信頼感をもってハープに寄り添うことを理解した 音楽家・歌手であることを顕彰する」というのが定義。 2008年12月、日本発のヘルマンハープのCD「会えるそのときまで」を出版。また、著書にドイツ在住時代を描くことでドイツ文化に深く切り込んだエッセイ集「ハルツの森のメルヘン」(プロスパー企画)がある。家族は夫と二人の娘。
2011年4月 |




